松阪市ブランド大使

松阪市委嘱式
〜関 孝弘コメント〜
『ショパン、シューマン、リストと共に生きた松浦武四郎』

松阪市よりブランド大使の委嘱を受けました。私の祖先である松浦武四郎は「北海道の名付け親」として有名ですが、 以前からNHKがドキュメンタリー番組をたびたび放映されておりますので、知る人ぞ知る存在かもしれません。少し前には北海道150年を記念したNHKドラマ「永遠のニシパ 北海道と名付けた男 松浦武四郎」(松本潤主演)により、多くの人々にその名が知られるようになりました。

伊能忠敬の測量で外郭線のみを知る未知なる蝦夷地が、松浦武四郎による6回にわたる探索により内部に至る詳細を知ることになります。原住民であるアイヌの異文化に接し、文字を持たないアイヌ語の地名を細かに文字に移し替えていきました。北海道には読みにくい地名が多いのはそのためです。積丹(シャコタン)、厚岸(アッケシ)、網走(アバシリ)などは一般的に知られていますが、入境学(ニコマナイ)、忍路(オショロ)など道民であっても読めないのはその為です。
彼の残した北海道の地図を見ると、その細かくびっしりと記載されている地名を見るだけでも、誰でも驚嘆すること間違いありません。その地図は、歩いて書いているにもかかわらず、まるで上空からドローンで見ているかのような記載になっています。

松浦武四郎(Wikipediaより)の功績は北海道の名付け親にとどまらず、様々な分野で功績を残しています。この場で紹介するには、ピアニストである私では役足らずです。
様々な本が出版されていますし、生誕地である松阪には素晴らしい記念館もあります。

私は松浦武四郎の玄孫(ヤシャゴ・孫の孫)にあたるのですが、昨年のコンサートに続き今年もコンサートが松阪市で開催され、松阪市のブランド大使の委嘱を受けました。松阪というと誰にでもまず浮かぶのが「松阪牛」ですね。しかし、大財閥の三井家発祥の地でもあり、本居宣長も生まれています。また映画監督・小津安二郎の青春の町としても知られています。

私自身はピアニストであるため、音楽を通じて幅広く松阪の文化を知って頂ければと思っております。
ちなみに松浦武四郎が生きた江戸時代末〜明治時代(1818~1888)は、ショパン(1810〜1849)、シューマン(1810〜1856)、リスト(1811~1886)と重なります。明治政府の伊藤博文もリストを日本に呼びたかった、という資料が残されていますので、もしリストが日本に来ていたら、松浦武四郎とリストの対面もあったかもしれませんね・・・。

松阪市委嘱式
〜関 孝弘コメント〜
『ショパン、シューマン、リストと共に生きた松浦武四郎』

松阪市よりブランド大使の委嘱を受けました。私の祖先である松浦武四郎は「北海道の名付け親」として有名ですが、 以前からNHKがドキュメンタリー番組をたびたび放映されておりますので、知る人ぞ知る存在かもしれません。少し前には北海道150年を記念したNHKドラマ「永遠のニシパ 北海道と名付けた男 松浦武四郎」(松本潤主演)により、多くの人々にその名が知られるようになりました。

伊能忠敬の測量で外郭線のみを知る未知なる蝦夷地が、松浦武四郎による6回にわたる探索により内部に至る詳細を知ることになります。原住民であるアイヌの異文化に接し、文字を持たないアイヌ語の地名を細かに文字に移し替えていきました。北海道には読みにくい地名が多いのはそのためです。積丹(シャコタン)、厚岸(アッケシ)、網走(アバシリ)などは一般的に知られていますが、入境学(ニコマナイ)、忍路(オショロ)など道民であっても読めないのはその為です。
彼の残した北海道の地図を見ると、その細かくびっしりと記載されている地名を見るだけでも、誰でも驚嘆すること間違いありません。その地図は、歩いて書いているにもかかわらず、まるで上空からドローンで見ているかのような記載になっています。

松浦武四郎(Wikipediaより)の功績は北海道の名付け親にとどまらず、様々な分野で功績を残しています。この場で紹介するには、ピアニストである私では役足らずです。
様々な本が出版されていますし、生誕地である松阪には素晴らしい記念館もあります。

私は松浦武四郎の玄孫(ヤシャゴ・孫の孫)にあたるのですが、昨年のコンサートに続き今年もコンサートが松阪市で開催され、松阪市のブランド大使の委嘱を受けました。松阪というと誰にでもまず浮かぶのが「松阪牛」ですね。しかし、大財閥の三井家発祥の地でもあり、本居宣長も生まれています。また映画監督・小津安二郎の青春の町としても知られています。

私自身はピアニストであるため、音楽を通じて幅広く松阪の文化を知って頂ければと思っております。
ちなみに松浦武四郎が生きた江戸時代末〜明治時代(1818~1888)は、ショパン(1810〜1849)、シューマン(1810〜1856)、リスト(1811~1886)と重なります。明治政府の伊藤博文もリストを日本に呼びたかった、という資料が残されていますので、もしリストが日本に来ていたら、松浦武四郎とリストの対面もあったかもしれませんね・・・。

2023年松阪市ブランド大使委嘱式とリサイタル

(クリックで拡大)

委嘱式1 委嘱式2 委嘱式3 委嘱式4 リサイタル1 リサイタル2 リサイタル3
当日の模様を放送した松阪市ぎょうせいチャンネル『アイウェーブまつさか』(youtube)